2024/03/10

3.11 あれから13年

おはようございます。物江です。 

いつも思いつき、思い込みブログにお越し頂きありがとうございます。

 

本日も「「心理的安全性の高い自立・自走のチームを目指して」シリーズで行きますのでよろしくお願いします。

 

本日は3.11東日本大震災から13年です。早く感じということは普段は幸せなのかもしれませんね。

 

今年は能登半島沖地震が発生し、今なお大変な思い、生活をされていらっしゃる方が沢山おられます。

 

被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 

今できることは

①思いを寄せる

②募金や被災されました地方のものを買う

③落ち着きましたらその地方へ出かける(年内に行きたいですね)

④社会保険労務士としてお手伝いできることがあればやる

 

先日9日(土)に3.11の被災地、宮城県の東松島、石巻、気仙沼に行って来ました。

雪が散らついた寒い1日でした。(当時も雪が降りました)


 

物江の災害ボランティア元年は2011429日~です。

 

はじめてのボランティアは自分で深夜バスを手配し、岩手県の遠野市を拠点に2日間陸前高田市に災害ボランティアを体験しました。今でもその時の光景は脳裏に焼き付いています。

 

その後はいくつかのボランティアバスが出ていることを知り、利用するようになりました。

 

最初の10年は何らかの形で被災を行くと決めてボランティア活動をはじめ、当時小学生であった子供連れてNPO法人の活動に参加をしたり、家族で被災地旅行にも行きました。

 

その後の熊本地震、千葉館山の台風被害でのボランティア活動等々に参加しました。

まぁ、ほんと半分は自己満足であったと思います。

 

ただ行ったことで自分の中に学ぶことは沢山ありました。

 

ボラバスで一番お世話になったのが水戸の石塚観光さまです。

 

2011年から13年間災害ボランティアバスを運行し続け、延べ33,000人を被災地に運んだそうです。

 

このボラバスがなければ被災地への思いだけでは行動には移りませんでした。

 

そのラストランは9日の土曜日でした。

 

ほんと感謝しかありません。

 

綿引社長の「被災地に寄添う」「被災地から邪魔だから来るな」と言われるまで続けるという強いリーダーシップに社員もついていき、参加した人の心を動かしました。

https://www.ishitsuka.co.jp/

 

災害ボランティアの体験などお伝えしたいことが沢山ありますが今はまとまらないです。

 

先日最後に訪れた気仙沼の震災以降施設で流れている当時15歳であった階上中学校の梶原裕太さんの卒業式の答辞を観ることが出来ただけでも本当に行って良かったです。

 

YouTubeで一部、ネット上では全文を観ることは可能ですが全部を映像で観るには現地気仙沼に行くしかないのかもしれません。石塚観光の綿引社長も13年間のボラバスの最後は梶原裕太さんの答辞で終わりたいと仰ってました。」

 答辞の総てを観て頂きたいと思いここでは一部だけのリンクなどは貼りません 

是非皆さんも機会があれば訪れてみてください。

https://www.kesennuma-memorial.jp/

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

最後に2011年震災の年に物江が書いたコラムがありましので良かったらご覧ください。

以下のその当時に書いたものです。

あくまでもボランティアから学んで生かされた者として活かすことが主眼の内容です。

東日本大震災から約6か月が経過しました。今までに4回災害ボランティアに参加しました。その活動を通して感じたことを皆さんへお伝えします。

 

1.なぜボランティアに参加しようと思ったか

2.ボランティアに参加する前と後で変化はあったか

3.ボランティアを終えて

 

3.11東日本大震災以降、連日被災状況が報道される中で、日増しに拡大する被害を知った以上、何かをやらなければという気持ちが日を追って高まってきました。何か物事を実行しようとするとき「何ができるか」を考えることも大事ですが「まずやろう」と決めることが大切だと思います。実際、災害ボランティアに参加するにあたっては①申し込み先は?②準備は?③交通手段は?・・・行っても無駄足だったらどうしよう?

等々考えると小さな不安?が生じてきます。そこでやっぱり行かなくてもいいかという考え、気持ちが支配的になることもありました。

ただ、今回は自分が感じたこと、自分の気持ち(ボランティアに行きたい)に正直に行動しよう!と思い参加しました。

普段の生活、仕事においてもできない理由、やらない理由はすぐにみつかりますが、「どうしたらできるだろう!その問題をクリアするにはどうすればいいのか!」と考えることでチャンスは限りなく広がると感じます。

わずか200500kmほど離れたところで家族を亡くし、家を失った人々がいる。もし自分が同じ状況だったらと考えたら、居ても立っても居られなくなった。人は唯一いろんな物事を想像する力をもっています。この時代に生きた者としてほんの少しでも今回の災害を自分のこととして想像することで行動を変え、行動することで共感が生まれます。

感性が理性を超える時代!自分の感性に従うことは自己満足のところもありますが、「まずは自己満足からはじめよう!」なぜなら自己を満足させることができなければ周りの人々に喜んで頂くことはできないからです。

個人参加のボランティアを受け入れてくれるところが少ない中で幸いにも4月末に陸前高田へ行ってきました。活動前の注意事項で「ボランティアをやってあげているんだ」という気持ちを持たないこと。写真撮影は禁止!これは心のないボランティアの行動によって被災者の心に2次3次の被害を生んでいた。

さらにボランティア3箇条として「①無理はしないこと②ノルマはない③自分の安全は自分で守る」と注意を受けました。無理をしてしまうケースがあるので自制を促した訳です。

ここに普段の仕事でも組織・チームづくり等に活かせる重要なポイントがあります。人は目的、目標が明確になれば自発的に動きます。さらに共通の目的を持った仲間との共感が更なる原動力となる。そしてすべての行動の結果は自分が源であるという責任感から自らを律して行動する。

①目的、目標の明確化→②仲間とのビジョンの共有、共感→③自らの使命、責任を果たす!

チームごとにバスに乗り込み活動現場へ向かった。海岸線に近づくにつれて目に飛び込んできた光景に絶句!想定外の津波と言われているがこちらの状況はまさに想定をはるかに超える惨状!たぶん人生で初めて「絶望」という言葉の意味を知ることとなる。しかし、これが「リアル!」事実から目を背けてはいけない。なぜならそこで生きていく人々がいるからだと自分に強く言い聞かせた。今回のボランティアは津波によって破壊された冷凍倉庫からサンマ、鮭、イクラが流出して腐敗が進み、異臭を放っている魚の片づけである。正直、腐った魚の状況、強烈な匂いに悩まされながらも、我々はボランティア活動を終えれば帰れる。しかしここで生活していく人々は浸水した住居でまだまだ日常生活からは程遠い状況(自衛隊からの給水やお風呂も送迎により週1回程度あるか?)の中で魚の異臭によりさらなる苦痛を強いられている。その苦痛を少しでも取り除くお手伝いをしたいと純粋に思った。約300名のボランティアが理屈抜きに動く!これは人が本来持っている力ではないかと感じる。「誰かのお役に立てることが自分の生きる喜びになるという力」だからこそ生きている実感を充足してくれるボランティア活動を通して活かされていることに感謝することを気づかされた。そして絶望とも思える光景の中にあって生かされた方々の直向きな姿に勇気を頂いた。今でも被災された方々から「ありがとう」と手を振って頂いた光景は忘れられない。

しかしあくまでも感謝するのはボランティアをさせていただいた私達である。それは人として大事な思いやりの機会を頂いたのだから・・・

私は普段の生活の中でも、まず自ら感謝するから感謝されるのではないかと思う。

帰りのバスの中は共通の目的、目標の仲間と多少の疲労感(充実感)とともに心地よい空間であった。

石巻で半壊した家屋から家財道具の撤去をさせて頂いた時は正直、悔しさで涙がこみ上げてきた。洗面用具、調理器具等々あまりにも生活観溢れたものばかりを散乱していた。一瞬にして生活が奪われたのだ。この家の家族は今どうしているのだろうか?どんな気持ちでいるのだろう?と考えずにはいられなかった。そして心の中でなぜなんだ!なぜなんだ!と叫んだ!

東松島では遺体安置所となった体育館の祭壇に手を合わせてから被災された方々が秋の彼岸前にお墓参りができるようにと墓地のガレキの撤去を行った。津波は何もかも奪ったが人々の心の中(先祖を敬うという人としての大事な心、尊厳)までは奪うことはできない。あるインタビューで「震災は不運だけと震災に負けたら不幸になる」という言葉を思い出した。

まだまだ人手は必要です。その一方でボランティアにのめりこんで中々普通の社会生活?に戻れなくなるボランティアハイという現象もあるようです。ボランティアに参加されている中には失業している人や仕事をやめてボランティアセンターに長期間滞在している方々もいました。自分が必要とされる心地よさとともに自分を承認してくれる居場所を求めているのではと感じます。そう考えると普段、自分はどれだけ自分の周りの人たちを必要な存在として承認しているだろうか?それは当たり前の存在ではなく有難いことなのだ。自分を支えてくれる存在としてもっともっと感謝しなければと感じた。

大阪から親子で参加した方からはボランティアに参加するよりも二人分の旅費交通費を寄付したほうがいいかな?なんて話になりました。その時々の金銭的価値のみで計ればその通りかもしれませんが、災害ボランティアに参加することで得られた金銭的価値以外の価値(共感し感謝する心)を自分の周りの人々に伝えていくことで、一人でも多くの人たちが今回の震災を自分の事として受け止めてくれることはとても大切なことだと思う。そして今後は相互に支えあうこと、分かち合うことで成り立つ社会になるのではないかと感じます。

最後にボランティアに参加させて頂いて感じることは、今与えられた使命の中で一生懸命生きること。そして人は本来出会った人々のお役に立ちたいという心根を備えていること。さらに周りの人々の喜びが実は自分の喜びになることをあらためて気づかされた。

今後もボランティアに参加していこうと思います。また多くの方にも機会があれば参加することでたくさんの気づきが得られるのではないかと感じます。そして私も含めて一人一人がほんの少しずつ変わることで心の豊かな社会の実現に近づくと確信しています。       
201110月 物江 学

 

本日も最後までお付き合い頂き感謝です! 

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